北海道からの川便り
「水辺空間を探訪する会」の活動報告(2) 「水すだれ」に映す川史 水辺空間を探訪する会 |
前回に続き第2回目の活動報告を致します。今回は、平成13年5月19日(土)札幌の隣町小樽市の東部を南北に量流する、勝納川(カツナイガワ)を上流水道専用ダムから河口部まで、約5kmの区間散策する事として、会員14名での探訪記です。
明治29年に道庁がまとめた実施測量計画調査の記述であるが、当時の河川状況(流90リットル、渇水量の5立方尺とは約0.135立米/秒であり、当初計画では「四時流水量ニ余リアルヲ以テ」ダム(貯水池)を設けない計画であったようである。
明治の末期、小樽の発祥の地であったこの勝納川の流域沿川はすでにかなりの人口密集があり、河川氾濫による家屋などの被害が相当数発生したことが推察される。 勝納川の原形の契機となった大災害 およそ“洪水はんらん”と呼ばれるものに様々なパターンがあるが、勝納川における37年の洪水はその地域の人々の目前で一つの氾濫のメカニズムを見せつけたようでもある。この大災害を契機として、地域の抜本的な河川改修への期待と熱意が今日の勝納川を形作っていったものであるが、この災害と大いに関係がある地域活動に「勝納川河川清掃」があげられる。道内各地の河川で様々な地域活動が行われているが、それぞれに歴史的な背景や特徴があるが、この勝納川の河川清掃には地域の人々にとって特別な思い入れがあって、流域の全町内会から毎年たくさんの参加により続けられている行事である。参加者はスコップ、ツルハシ、リヤカー、そして胴長の靴などの出で立ちで、終日泥まみれで河川の中から不法投棄された廃材やら様々なゴミを掘り出したり、拾い上げる清掃活動が長い間行われているのは、37年の洪水で考えられないほどの大量の大小のゴミが流下して、氾濫を増大させた状況を目前にし、水害の恐怖を体験した地域の思い入れがこの活動を支えているようである。(近年、各町内の高齢化と洪水の怖さを知らない世代も増え、勝納川清掃の行事への参加者が減ってきているとの町内功労の方の話もある) とりとめも無く書いてしまいました。水辺空間を探訪しながら河川とその地域の成り立ちやら、人々のかかわり、歴史などに思いを馳せるのもまた楽しからずやではないでしょうか。 |
昭和37年水害記事-1
昭和37年水害記事-2
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